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2012年2月9日木曜日

「からくりからくさ」から

2日ぐらい前に紹介しました、梨木香歩さんの「からくりからくさ」から、気になる台詞があったので、抜書きします。

この本は、染めの技法や、植物、能面、そして人形と、私の興味ある知識が満載です。

その中で、織を専攻していて日本各地の紬について研究している紀久さんの台詞から・・・。

「・・前略・・、私はそこの土地で採れる作物のような、そこの土から湧いてきたような織物がすきなの。取り立てて、作り手が自分を主張することのない、その土地の紬ってことでくくられてしまう、でも、見る人が見れば、ああ、これはだれだれの作品、っていうようにわかってしまう、出そうとしなくても、どうしても出てしまう個性、みたいなのが好きなの。自分を、はなっから念頭にいれず、それでもどうしてもこぼれ落ちる、個性のようなものが、私には尊い」
紀久のその発言は、聞きようによっては、個性とその表現に全てをかけているといってもいい、染織作家たちに対する反発のようにもとれた。
「何もないところにでっちあげる、奇をてらった個性ではなくてね」

少し長い文章になりましたが、こんな感じで会話が進みます。
模様の話になったり、技法の話になったり・・・。

個性とか表現するとか、個々人それぞれに考え方があると思いますし、また、長く作り続けていると、一人の中でも考え方がまったく違ってくることもあります。

私の場合、自己表現したいとか、人と違ったものを作りたいとか、その意識が強かった時は、色のコントラストが強く、独りよがりな物を作っていたような気がします。
今は、人の作品も自分の作品も、自己主張の強すぎる物は、「うるさい」と感じます。
この紀久さんのような物作りが理想的ですね。
そして、難しいのは、自己主張のないものは、「つまらない」と思うことです。
どこかで、キラッと異質な物が欲しい。
そのちょうどいいサジ加減が、きっと、時間を置いても、長く好きでいてもらえる秘訣だと思うのです。
理屈では、そうなのですが、実際は、わからなくて、四苦八苦・・・。

今日は文章ばかりで、ちょっと堅苦しくなりました。

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