独立したての頃は、とにかくたくさん柄を描きたかった。(実は今でもあまり変わっていない・・)
染めることは好きだけれど、私自身「着る」ことに無頓着で、お洒落とは縁がなかったので(今でも変わっていない)、着ることよりも、「綺麗な着物を染める」「観て楽しみたい」が優先していました。
もちろん、着姿を無視するわけではなく、着て美しく、観て美しくが目標でした。
だから、隠れてしまう所にも、たくさん柄を描いていました。
隠れてしまうのだから、描いてもいいでしょ。って感じで・・・。
着物の着付けを習いに行って、自分で着物が着られるようになったのは、独立してからずいぶんたった頃。(遅すぎ・・)
自分で着てみると、「隠れてしまう部分に描いてもいいでしょ」と描いた柄が、うまく出ればいいのですが、身長・体型によっては、中途半端に出てしまう可能性があることがわかり、「描かない方が綺麗だなぁ」と思い始めました。
そして、長く続く不況で、着物離れがますます進み、「高価な友禅は、着て行く場所がない」と、「重い柄(総柄や柄の多い着物)はコストがかかる」と、どんどん作られなくなりました。
私の思いも、観ることから着ることを最優先するようになって、「重い柄の訪問着はお洒落じゃないよなぁ」になっていて、ここ数年、柄の多い訪問着はまったく作っていませんでした。
最近の加賀友禅は、本当にポイント柄の簡単な柄が多いです。
地色のぼかしなどで、訪問着と銘打っていますが、付下げですね。
付下げは、しっかり着姿の綺麗なポイントを押さえているので、着ると素敵ですが、衣桁に飾ると柄がなくてつまらない。
まとまりすぎていて面白みに欠ける。
最近、少し思うことは、「若い人には、思い切って大胆な柄でもいいんじゃないだろうか」です。「柄・柄・柄の着物もいいんじゃないかなぁ。」
年配には多い柄はいいと思いませんが・・。
「またたくさん柄を描きたい。隠れてしまっても飾って綺麗な柄を描きたい」
そんな昔の想いがちょっと戻ってきました。
最近、そんな私の気持ちに合わせてくれたかのように、昔作った柄をもう一度作って欲しいと依頼がありました。
「椿」
以前に作った柄は下図や作った時の記録を残しているので、そのままなぞれば理屈では同じものができます。
でも、どういうわけか、初めて作った時の勢いや「ああしよう、こうしよう」と迷いも含めた制作の思いを忘れていることがあって、最初よりいい物がてきないことが多いです。
この着物は確実に5年以上は前です。10年近く前かもしれない。
制作の思いも、作り方も今とはずいぶん違います。
幾何学模様と色の変化とに凝っていた時期のものだから、かなり大胆です。(写真ではうまく写っていませんが・・・)
こんな、大胆なもの作っていたんだなぁ(無謀なもの作っていたんだなぁ)
小さく見えますが花もかなり大きめで、形も雑。
着ることを最優先させている今の私に、同じ大胆なものが作れるのかどうか・・・。実はかなり不安があります。
「本当に作っていいのだろうか?」
それでも、「染めること・作ること」を再考するように言われているようで、どこかでちょっとワクワクしているのです。
昨日から、下図を写しなおす作業を始めました。
同じ下図をそのまま生地に描けばいいのでしょうが、少し変えてもいいと許可をもらっているので、基本的なところはまったく変えず、花の形を整えたり、昔の制作意図を思い出したり、の下図描き直しです。
当時の私と対面しているようで、なんとなく変な気分。
無駄な線・柄、いっぱい描きます。(楽しみます)
前よりいいのが出来上がりますように。(重い柄・若い人向けの派手目の着物依頼に感謝・・・)
追記・・・調べてみたら、平成17年でした。今から7年前。
友人家の猫君たち。
連絡があるたびに、数が増えているような・・・・。
現在、5匹。(うちのヨナ・ヒナちゃんみたいのがいつの間にか増えているなぁ)
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